ご本尊は不動明王で鏡のご神体も奥の院に祀られ、鳥居もあり神仏習合を感じさせられる寺院です。
美濃三不動(迫間不動・日之出不動・山中不動)のひとつであります。
嵯峨天皇の治世・弘仁年間に全国各地の遍路していた円珍が夢で神仏のお告げがあり823年(弘仁14年)に不動明王を祀り、岩谷不動尊として開基したされます。 この頃は迫間には住民がいなかったようですが、次第に増えた信徒によって維持管理がなされてきました。 また、地頭大島家が氏神として祀り、地域でも産土神(うぶすながみ)とされるようになったとされています。
大嶋家は、慶長3年(1598年)に美濃国関藩初代藩主で「姉川の戦い」の戦功、「坂本の戦い」で信長から「雲八」の名前を貰い、「長篠しの戦い」でも戦功をあげた大嶋光義(通称:大嶋雲八)が良く知られている所です。
延宝8年(1680年)9月には、伊勢から天照大神の分神を勧請して下迫間区に神明神社を建立したため、その奥之院として「奥の院迫間岩谷不動尊」の名称となりました。
1680年(延宝8年)に迫間岩谷不動尊に改称され、大正5年(1916年)、本尊が1000年の満願を以て自滅昇天しましたが、再建により一層の繁栄をもたらすという神のお告げをうけて現在の奥の院がつくられました。
昭和38年(1963年)には奥の院祈願堂が新築され、現在の奥の院の様になりました。 翌年には村道が開通したことで参拝客が盛んに訪れるようになったとされます。
普通、寺院は山門がありますが、迫間不動尊は一見、神社の様で、石の鳥居があります。 奥の院は写真の通り、朱色の鳥居と石灯篭があります。 |