関南アルプス


夕暮不動明王


夕暮不動明王
 迫間不動尊(明治初期までは迫間山 岩屋不動明王)の「奥の院」へ向かう道と多賀坂峠から「奥の院」に向かう分岐の手前の、昆虫の森の東屋横に、この夕暮不動明王があります。 
 ここも、神仏習合時代の名残があり鳥居があります。

 夕暮不動明王と刻まれた石碑があり、その奥に鳥居があります。 迫間不動尊と同様に神仏習合時代の名残が伺えます。 この地は、今の多賀坂林道がなかった頃の参道でもあり、峠を越える古道であったと思われ、 
 ここには石灯篭が一対と、その間に弘法大師像があります。

 反対側には「制多迦童子」(せいたかどうじ)と「矜迦羅童子」(矜羯羅童子=こんがらどうじ)と刻まれた石碑があります。
(制多迦童子の多は本来の文字ではありませんが文字フォントがないため「多」を使用)

 「制多迦童子」と「矜迦羅童子」は不動明王の脇士として祀られる八大童子の2体で、不動三尊像の代表的な像ですが、ここにはその像は無く、代わりに石灯籠が2つ(一対)あります。
 
 ここは、昔は多賀坂林道がなく、江戸時代から迫間不動尊への参道と多賀坂峠に向かう分岐の脇に当たる所で、「制多迦童子」と「矜迦羅童子」が迫間不動尊の南側及び西側の入口を守る意味で、ここに建立されたと推測され、庶民が迫間不動尊にお参りする際に、ここにお参りして向かった登ったと思われます。
 
 元々、「矜迦羅童子」は、不動明王の左(向かって右)に配されていますが、守る方角的には西の方角とされています。従って、不動明王の西側を守る意味で夕暮不動明王が祀られたと思われ、名前が西の方角で日が沈む方角のため夕暮不動明王となったと推測されます。
 鳥居も西向きに建てられています。

 八方不動明王と迫間山山頂の間にも夕暮不動明王の石碑があります。ここもそう言ったことで迫間不動尊の北側と八方不動明王の西側を守る意味合いの石碑なのかもしれません。

 夕暮不動明王について、別途調べた結果をまとめています。 
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