
役行者 |
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お地蔵さん |
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小さくて」、見逃してしまいます。 探してみてください。 |
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南無日月両光大菩薩(普寛行者大菩薩・覚明行者大菩薩)石碑 |
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岩坂峠の石仏(道供養仏) |
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多賀坂林道改修記念碑 |
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この石碑は当時、外務大臣であった故 武藤嘉文氏の書であります。 |
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「ふどうの森」柱状節理の石碑 |
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六角形の柱状節理の石をそのまま利用して作られています。 どこから運ばれたのかは不明ですが、この地域のものではないことは確かです。 この石碑の周りにも何本かの柱状節理の石が立てられています。(そば傍に祠があり、後ろ付近) |
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迫間不動尊の道標 |
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表面には手差しの絵と「はさまふどう」の文字が刻まれています。 側面には「ヲハリ 一宮連中」と刻まれています。 ヲハリとは今では尾張の事を指し、一宮の人がたてたものです。 時代を考えると木曽川の渡船が盛んになる江戸時代ではなかったかと思われますが、それ以前でも「鵜沼の渡し」又は、「宇留間の渡り」と言われていたことから、その前でも渡船があったと考えると、はっきり断定することはできません。(犬山市側には文化12年(1815年)建立の常夜灯があります。) 現在は、舗装されたテレビ中継局や防災無線中継所の作業道になっていますが、昔は、ここが八方不動尊やその下の神明神社(昔は迫間岩谷不動尊で現在の迫間不動尊は、この奥の院であった)にから迫間不動尊へ下る参詣道であったと思われます。 昆虫の森の入り口にある東屋の前の迫間不動尊と大岩不動尊との分岐点にも道標が有ります。 はさまの文字は判読できますが、他の文字は、判りません。 上の写真の手差し絵とよく似た手差し絵が刻まれていますが、他の文字は判読出来ませんが漢字が刻まれている様です。 ここが、鵜沼宿から迫間不動に向かう参詣道であった事が伺えます。 いずれにしても現在の多賀坂林道がなかった時代の道標です。 |
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