関南アルプス








石仏・石碑・道標


役行者
 多賀坂トンネル南側のさくら園への入口付近に「役行者(えんのぎょうじゃ)」の石仏があります。

お地蔵さん
 こんぴら道の途中に小さくてかわいい、お地蔵さんがいます。
 小さくて」、見逃してしまいます。 探してみてください。

南無日月両光大菩薩(普寛行者大菩薩・覚明行者大菩薩)石碑
 御井戸屋敷登山口からのルートを少し登ると、左側にこの石碑があります。


岩坂峠の石仏(道供養仏)
 岩坂峠には石碑があります。 岩坂地蔵と呼ばれていますが、後ろにハスの花びら状の「光背」がありますので正確には地蔵様ではなく、石仏です。(地蔵様は「光背」がありません。)

 岩坂峠には昔、薬師寺がありましたので、移転した時に峠越えをする人たちのために、旅の安全と道しるべの意味を込めて、安置させたと思われます。 光背部をよく見ると「道供養仏」と刻まれています。

 「道供養仏」は道祖神、地蔵尊などの交通安全、悪魔退散の呪術的信仰とは異なり、道しるべとしてもわかり易く、当時の行路者の行き倒れが非常に多く、道自体を供養して報恩感謝の念を捧げることとされています。

 この当時の薬師寺に冠する称号は大平山(おおひらさん)でしたので、その上の修験だった山を新しく、大平山として命名しました。

 薬師寺は、ここから石投げ塚(山)と称している地点に移転し、更に現在の地点に移転しました。
 薬師前山は、石投げ塚(山)に薬師寺が有った時の前に有ることから名付けられました。

多賀坂林道改修記念碑
 健脚の道の金毘羅山への登山口に小さな駐車場があります。ここに多賀坂林道の改修記念碑があります。

 この石碑は当時、外務大臣であった故 武藤嘉文氏の書であります。

 

「ふどうの森」柱状節理の石碑
 多賀坂林道改修記念碑と並んで、「ふどうの森」の石碑があります。
六角形の柱状節理の石をそのまま利用して作られています。 

 どこから運ばれたのかは不明ですが、この地域のものではないことは確かです。 この石碑の周りにも何本かの柱状節理の石が立てられています。(そば傍に祠があり、後ろ付近)

迫間不動尊の道標
表面
側面
 八方不動尊から明王山に向かう途中の迫間不動尊へ下る分岐点に迫間不動尊への道標があります。 

 表面には手差しの絵と「はさまふどう」の文字が刻まれています。

 側面には「ヲハリ 一宮連中」と刻まれています。

 ヲハリとは今では尾張の事を指し、一宮の人がたてたものです。

 時代を考えると木曽川の渡船が盛んになる江戸時代ではなかったかと思われますが、それ以前でも「鵜沼の渡し」又は、「宇留間の渡り」と言われていたことから、その前でも渡船があったと考えると、はっきり断定することはできません。(犬山市側には文化12年(1815年)建立の常夜灯があります。)

 現在は、舗装されたテレビ中継局や防災無線中継所の作業道になっていますが、昔は、ここが八方不動尊やその下の神明神社(昔は迫間岩谷不動尊で現在の迫間不動尊は、この奥の院であった)にから迫間不動尊へ下る参詣道であったと思われます。

 昆虫の森の入り口にある東屋の前の迫間不動尊と大岩不動尊との分岐点にも道標が有ります。 はさまの文字は判読できますが、他の文字は、判りません。 上の写真の手差し絵とよく似た手差し絵が刻まれていますが、他の文字は判読出来ませんが漢字が刻まれている様です。

 ここが、鵜沼宿から迫間不動に向かう参詣道であった事が伺えます。

 いずれにしても現在の多賀坂林道がなかった時代の道標です。